2018年9月3日(月)の手紙

2018年9月3日(月)


『やもりは手でつかまえることができるが、王の宮殿にいる。』箴言30章28節


旧約聖書はヘブル語で書かれています。

ルターはきょうのみことばを、「クモは自分の手で働く」と訳しましたが、これはまた「クモは手でつかまえることができる」とも訳せます。
つまり無力そのものだということです。

宮殿でクモを見つけたとき、ソロモン王は恐らくそう考えたのです。
槍を手に城門に立つ見張り兵を思い浮かべながら、王は思わず笑いました。
「ちっぽけな生き物が、だれにも妨げられずに、私の城に入って来るとは」。

さてソロモン王は、クモのことではなく、私たちのことを語っているのです。
私たちもみな無力な者たちです。
そして、罪人である私たちが、私たちのソロモン、私たちの王である、主イエス・キリストのもとに行こうと立ち上がるとき、恐るべき見張り兵が私たちの道を阻むのです。

それは「この世」です。
この世は罪人をそそのかしてこう言います。
「止まれ。
何も自分から進んで愚かな変人になることはない。
人生は楽しめばよいのだ」。

また、人々が立ちふさがって叫びます。
「止まれ。
ひとりだけ勝手なことをするな」。

それからまた、サタンが前に立って言います。
「止まれ。
信仰だと。
どうぞご自由に。
だが、イエスを王と仰いで、この私の支配を逃げ出すなどとは、絶対に許さないぞ」。

また、罪人自身の良心が立ち上がって言います。
「お前のような罪人がイエスのもとに行くのだと。
それよりも先に、まっとうな人間になれ。
が、そんなことができるものか。
今のままでよいのだ」。

ソロモンは、クモは知恵者中の知恵者だと語りました。
クモはだれにも妨げられずに進んでいったのです。
では私たちはどうするでしょうか。

主よ。
あなたに向かって私たちを突き進ませてください。アーメン

God Bless You!!


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