2018年9月29日(土)の手紙

2018年9月29日(土)


『主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。』詩篇38篇8節


旅の途中に、ある村を通ると、道路の上に「百周年射撃大会」の横断幕が掛かっていました。

古き伝統が大切というのであれば、その程度では驚きません。
三千年も前からの祭りを、今日でも祝うからです。

「三千周年収穫感謝祭」。
何と豪快ではありませんか。

旧約のイスラエルの民がカナンに入っていったのは、およそ紀元前1300年。
そして彼らは間もなく収穫の祭りを始めました。
それはホレブの山での神のご命令に基づくものでした。

「あなたの打ち場とあなたの酒ぶねから、取り入れが済んだとき、七日間、仮庵の祭りをしなければならない。
この祭りのときには、あなたも、あなたの息子、娘、男女の奴隷、…在留異国人、みなしご、やもめも共に喜びなさい」。

それ以来、収穫の祭りは続くのです。
私たちもともに祝おうではありませんか。

この際、都会人には頭の切りかえが必要です。
多くの人々はたわわに実った麦穂についても、実をいっぱいつけた木についても、十分な知識がないからです。

しかしそんな彼らも、いつも食べるパンがどこから来るのかを考えるべきです。

一度そんな質問を若い人たちにしてみたら、「お百姓さんから」と彼らは叫びました。
そこで私は言いました。
「そのとおりだ。
しかし収穫というものは、雨や日照りでだめになることもある」。

「そのときはパンを輸入すればいい」。
「そうかな」と私は答えました。
「私たちの年代は、輸入が全く停止する経験をしたのだがね」。

マティアス・クラウディウス(1740-1845)のことばは正しいのです。
「我らの手から離れるものは、もともと神のくださったもの」。

それゆえに、まさにそれゆえに、私たちは収穫感謝祭を祝うのであり、キリストの御父をたたえるのです。

主よ。
私たちの目を開いて、良いものを与えてくださる御手を認めさせてください。アーメン

God Bless You!!


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