2018年9月26日(水)の手紙

2018年9月26日(水)


『さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。』ルカによる福音書15章1節


ベルリン華やかなりしころ、こんな冗談がもてはやされました。

ある日、男がひとり、草深い田舎からフリードリヒ通りにやって来ました。
通りは絶え間ない車の流れで大混雑です。

男は朝の10時にそこに着きました。
かつて、こんな光景を見たことがありません。
11時になってもまだそこにいます。

12時になり、ついに巡査が来て、何を待っているのかと尋ねると、「向こうへ渡ろうと思って、祭りの行列が通り過ぎるのを待っているのさ」と答えました。
巡査はあわてて、これは祭りではなく、普通の交通だと教えてやったとさ…。

が、やがてこの「祭りの行列」も途絶えました。
ベルリン市フリードリヒ通りは、戦火で瓦礫の山と化したのです。

けれども、私はもうひとつの通りを知っています。
その交通は、世の終わりまで絶えることはありません。

イエスへの道です。
その交通量のおびただしさを知りたいと思うならば、新約聖書を読めばよいでしょう。

主を尋ね求める人、病人、取税人、罪人、子ども、老人、高慢な人、絶望した人、などの多くの人々が通って行きます。

このイエスへの通りをふさごうとする人々も、多くいました。
彼らは危険注意の看板を立てました。
通行禁止の標識も付けました。
神の御子についてのおとぎ話や、うそっぱちも、流してみました。

が、すべては徒労に終わりました。
人々は、幾世紀にもわたって、すべての大陸で、今でもイエスのもとに集まり続けています。

この世は、イエスのもとに来る人々に対して侮辱と軽蔑のまなざしを注ぎました。
世は、彼らを笑いものにしました。

が、すべてはむだでした。
父なる神が、聖霊によって、多くの飢え渇いた心を御子のもとへと導き続けてくださるからです。

私たちもこの通りを行こうと、心に決めましょう。

「御父よ、私を御子へと引き寄せたまえ。
御子が御父へと私を導くために…。」アーメン

God Bless You!!


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