2018年9月16日(日)の手紙

2018年9月16日(日)


『こうしてガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤおよびヨルダンの向こう岸から大ぜいの群衆がイエスにつき従った。』マタイの福音書4章25節


何というイエスの大きな引力でしょうか。

主は貧しい路傍説教者として、国中を巡り歩かれました。
すると、民は彼のもとに殺到したのです。

十字架に死なれて以来、主の引力は何と強くなったことでしょう。
「見よ。世の罪を取り除く神の小羊」。

この世特有の苦しみを持ち、その心が罪に、すなわち神の前での罪に縛られている人であればだれもが、この方に引き寄せられるに違いありません。

また、復活されて以来、この方の引力は何とさらに強まっていることでしょうか。
この世に、死のいぶき、文字どおりの死臭を嗅ぎ取る人は、間違いなくイエスのもとに引き寄せられます。

主イエスは墓から栄光の復活を遂げ、世界に向かって「わたしは…いのちです。
…わたしを信じる者は、決して死ぬことがありません」と叫ばれるからです。

神の右の座に上げられて以来、イエスの引力はいよいよ強まりました。
今や至る所で聖霊が働いてくださり、心の征服者であるイエスへと人々を導かれます。

青年時代にヴュルテムベルクの信徒大会で聞いたある年配のお百姓さんのことばを、私は今も忘れません。
彼は若い日にイエスに抵抗したけれども、「主の力のほうが強かった」と言うのです。

さて、それから彼は隣にいた兄弟に尋ねました。
「なあ、ヤコブ。
お前も救い主に従っていくのを、いやがったかね」。
すると相手はうなずいて、「俺もいやがったが、主についていくほかはなかった」と答えました。

人生において経験する深い不安こそ、ほかならぬ御子イエスへと導く、天の父の引力です。
御父は、私たちが悩み果てるのをよしとせず、「すべての人が救われる…のを望んでおられる」のです。

主よ。
私たちの反逆をお教しください。
私たちを占領してください。アーメン

God Bless You!!


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