2018年8月28日(火)
『悪者は追う者もないのに逃げる。しかし、正しい人は若獅子のように頼もしい。』箴言28章1節
「不法の酸が、私の心に化学変化を起こしました」。
伝道者スタンレー・ジョーンズに対して、ある女医がそう書き送ったそうです。
これは、あらゆる理想主義の結末が何であるかを表すことばです。
青年はだれでも幾らかは、勇気と理想に傾くものです。
それゆえに一見、彼らは若獅子のように頼もしく見えます。
が、やがて多くの人々を知り、人生や、世界を知るようになり、それらのもろもろが日常を埋め尽くし、こうして私たちを不法で満たしてしまうのです。
さらにまた、幻滅を経験させ、ついには心に悪しき化学変化を起こさせます。
すると心は、劣等感、争い、無慈悲、軽蔑、尊大、屈辱などのとりこになってしまいます。
これでおしまいならばまだ良いのですが、実はなお悪いことに、神への不信仰、痛む良心がそこに加わります。
いったいこれが人生というものなのでしょうか。
だから、理想主義には何の力もありません。
理想。
確かにそれも神のすばらしい賜物には違いないし、それを求めるにやぶさかではないのですが。
聖書は私たちに蜃気楼を見せるのではありません。
ものごとを現実的に語るだけです。
「若獅子のように頼もしい」。
そのような人生は、私たちが「正しい人たち」のひとりであるときに、持つことのできるものです。
それはどのような人たちですか。
主イエス・キリストを信じるゆえに、神が正しいとしてくださった人々です。
彼らは主に対して自分の罪を言い表しました。
主は彼らを「ご自分の血で洗」ってくださいました。
主'を通して、彼らは神との和解を受けました。
それが人を「若獅子のように頼もしく」するのです。
主よ。
あなたは私たちの心に、良い化学変化を起こすお方です。アーメン
God Bless You!!
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