2018年8月14日(火)の手紙

2018年8月14日(火)


『銀にはるつぼ、金には炉。人の心をためすのは主。』箴言17章3節


ノルウェーのヘンリック・イプセンに『ペール・ギュント』という有名な戯曲があり、その中に次のような感動的な場面があります。

年老いたペール・ギュントは漂泊の生涯の果てに、森の小屋の前に立ちます。
そして玉ねぎをひとつ手にして、遊び半分に皮をむき始めます。

突然、その玉ねぎが自かの人生に思えて来ます。
息詰まる勢いでひとつの問いが心に浮かびました。
「皮の中に芯はあるのか」。
私たちは彼がそうつぶやくのを聞きます。

「どこまでも続く、皮また皮。
ついに芯は出てこないのか。
ただ皮ばかりの…」。

そして彼は驚きます。
「俺の人生も同じだ」。
そう叫んで、彼は玉ねぎを放り投げるのです。

恐ろしい場面です。
が、聖書の語るところは、もっと恐るべきものでしょう。

ここでも神は玉ねぎを手になさいます。
私たちの生涯です。
やはり神には、皮しか見いだせないのでしょうか。

「銀にはるつぼ」。
聖書は、主のみ姿を「その目は燃える炎のよう」だと書いています。
それは私たちの生涯を試す炉の炎です。
その炎の前には何ひとつごまかすことはできません。

主は私たちの中に芯を見いだしてくださるでしょうか。
皮はどんどん剥ぎ取られます。
人生には無意味なことが多くあるからです。

が、神は芯を見いだされるでしょうか。

いったい芯とは何ですか。
もしも神が私たちのうちにイエスを見いだしてくださるならば、それは芯を見つけられたのです。
無惨な人生を変えることのできる、罪人の救い主、神の御子を迎えるならば、私たちの生活が芯を失うことはありません。

主イエスよ。
あなたは私たちの内に住むと約束されました。
私たちの中にお入りください。アーメン

God Bless You!!


a:143 t:1 y:0