2018年7月7日(土)の手紙

2018年7月7日(土)


『それは、わたしが手を引くとどうなるかを、あなたがたが思い知るためだ。』民数記14章34節


神の御手がひそかに差し伸べられていることを、これまであなたは真剣に考えたことがないかも知れません。

主の手は、私たちにさまざまな良い賜物を与えました。
嵐のとき、御手は私たちをそっとかくまいました。
孤独にうちひしがれるとき、その手はすぐ近くにありました。

いま私たちからその御手が引かれるという恐るべき可能性を、神は示されます。
私たちは最初それに気づきません。
が、しだいに、祝福される価値のない自分であることを「思い知ら」なければならなくなります。

そこで人はついに悩みと死のただ中で、支えを求めるのです。
が、そのときにはもはや支えはどこにもありません。

このみことばとともに、新約聖書の記事も合わせて考えてみましょう。

あるときイエスは群衆に向かって話しておられました。
突然、あたりが騒がしくなります。
ひとりの病気の人が近寄って来たのです。
人々は、怒りと、驚きと、感染への恐怖の余り、悲鳴をあげます。

が、彼は身を引く群衆の間を通って突き進んで行きます。

イエスのもとへ。
そしてそこにひれ伏し、泣きながら叫びました。
「主よ。お心ひとつで、私をきよくしていただけます」。

そこでイエスはどうなさったでしょうか。
痛ましい患部を見て後ずさりされますか。
いいえ。
聖書は、「イエスは手を伸ばして、彼にさわり…」と記しています。

イエスの御手、神の御手が差し伸べられて、彼を癒したのです。

私たちは、神がその御手を引いてしまわれても仕方のない者たちです。
が、イエスのゆえにもう一度、神の御手は私たちに対して確かに伸ばされました。
この御手をしっかりとつかみましょう。

主よ。
力強い御手を伸ばしてくださることを感謝いたします。アーメン

God Bless You!!


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