2018年7月31日(火)の手紙

2018年7月31日(火)


『主がいかに親切であるかを味わい、これを見つめよ。』詩篇34篇8節


今日の世界に向かって、一度このように叫んでみたらどうでしょうか。
おそらくあちらこちらで抗議のこぶしが振り上げられることでしょう。

「神が親切だと。
それなのに毎日、恐ろしいことが起こるというのか。愚かなことを言うな」。

フランスのある小説では、ひとりの母親が「愛する神さまは犯罪者にちがいない。
こんな子どもたちを奪ってしまうなんて」と絶望して叫びます。

また、ある著名人が書いています。
「自分たちは神から告発されなければならないと思い込んできたが、今では、言わなければならない。
「もし今日告発される者がいるならば、それはキリスト者の神だ。
告発するのは、痛められ苦しんだ人類だ』と」。

これらの抗議を前にして、ダビデは「神の親切」という彼の詩を引っ込めるべきでしょうか。

確かに神は隠れたる神です。
神は義人ヨブを貧しくし、病気にし、灰の中に座らせました。
神はまた、偉大な証人パウロをローマの牢獄の闇に迷い込ませました。

しかし、それでもなお、私たちは世に向かって「主がいかに親切であるかを味わい、これを見つめよ」と叫びたいのです。

神の憐み、愛、恵みを示す確かな証拠がひとつあるからです。
イエス・キリストの十字架です。
それは暗い世界に立つ、神の愛の灯台です。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された」。
信仰をもって十字架を見上げない人には、相変わらずすべては闇に沈んでいるでしょう。

が、きょうの箇所の少し前には、こう歌われるのです。
「彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた」。

主よ。
私たちの目を開き、ゴルゴタで示されたあなたの愛を見させてください。アーメン

God Bless You!!


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