2018年7月26日(木)の手紙

2018年7月26日(木)


『そのとき、御霊が補佐官の長アマサイを捕らえた。「ダビデよ。私たちはあなたの味方。エッサイの子よ。…あなたを助ける者に平安があるように。まことにあなたの神はあなたを助ける。」そこで、ダビデは彼らを受け入れ…た。』歴代誌上12章18節


「いったい、お前は何になるつもりだ」。
父親に尋ねられると、息子は黙って肩をすくめ、父は溜息をつく。

一生の問題に明確な結論もなく過ごすとするなら、 これほど困ったことはありません。
が、救い主に対する私たちの態度保留は、なおのこと悲しむべきです。

アマサイから学ぶことができます。
侮られ追い回されて荒野をさまようダビデのもとへ、彼は30人を引き連れてやって来ました。
ダビデは彼に会って、単刀直入に尋ねます。
「君たちはなぜやって来たのか」。

すると聖霊に捕らえられてアマサイは、主イエス・キリストの先祖であるダビデに答えました。
それは決意の表明でした。
「ダビデよ。
私たちはあなたの味方。
エッサイの子よ。
私たちはあなたととるにいる」。

私たちの目はここから、知らず知らずのうちに新約聖書へと移ります。
そこには主イエスがおられます。

主は、説教の途中に人々が去って行くという経験をされました。
「ひどいことばだ」と人々は憤慨したのです。
イエスは振り向いて、弟子たちに「あなたがたも同じか」と尋ねられます。

するとペテロがアマサイのように答えました。
「主よ。
私たちがだれのところに行きましょう。
あなたは永遠のいのちのことばを持っておられます。
私たちはあなたが神の聖者であることを信じ、また知っています」。

数々の苦闘の果てに、ついに結論を見いだすのはすぱらしいことです。
「我らは汝がもの、とわに汝がもの」という結論です。

アマサイはダビデにつく決断をしました。
それはダビデが神の友であったからです。
ましてや私たちは神の御子である方につく決断を、喜んですべきではありませんか。

主よ。
私たちを完全にあなたのものとしてください。アーメン

God Bless You!!


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