2018年7月21日(土)の手紙

2018年7月21日(土)


『アハブは王宮をつかさどるオバデヤを呼び寄せた。オバデヤは非常に主を恐れていた。』列王記上18章3節


ここに見るのは、神なき環境に生きるひとりの信仰者です。

偶像を拝むアハブ王の宮殿にあって、王宮をつかさどるオバデヤはいったい何を考えたでしょうか。

王宮で偶像の祭りが始まると、そこは確かに彼にとって恐るべき場所となりました。
また、王妃イゼベルが、生ける神とそのしもべたちを愚弄するときも、そうでした。

しかし彼は忠実に務めを果たしたので、彼が神のしもべたちに対して親切を行っても、人々は彼を抹殺できませんでした。
こうして彼は、いっさいが重荷となる、このような環境に、とどまり続けたのです。

同じように若いヨセフは異教の地エジプトで、主の忠実な証人として自分を表しました。

偶像の町ソドムに生きることは、ロトにとっても困難を極めたに違いありません。

ペテロは次のように言いました。
「無節操な者たちの好色なふるまいによって悩まされていた義人ロト…」。

今日もなお、多くの神の子どもたちが不信仰な環境での生活を強いられています。
すると信仰はしばしば萎縮します。
「説教の間は、私の信仰は山のように巨大だ。
が、異教の環境での生活に戻ると、粟粒のようになる」。

スマトラの若いキリスト者が宣教師にそう打ち明けたそうです。
そのようなときに、これらの信仰の手本を見ることは大きな助けです。
彼らは固く立つことができました。
どんなときにも主を信じたからです。

「私はひとりで立つのではない。
生ける主なる方がともにおられる。
主は約束された。
だれも主の羊を奪うことはできないと。
約束を握ろう。
そしてこの場所で、主に栄光を帰そう」。

主よ。
私たちに常に臨在の確信をお与えください。アーメン

God Bless You!!


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