2018年7月16日(月)の手紙

2018年7月16日(月)


『ソロモンは主を愛し…。』列王記上3章3節


現代人が神について語るのは、ごく稀なことです。
語るとしても、そもそも神とはこんなものか、あんなものか。
「存在の根拠」とでも言うか、あるいは、この世に干渉するのか、といった始末です。

「ソロモンは主を愛した」。
これはまるでよそ事の感があります。
神についての私たちの議論の、あの冷淡さが、ここには全く見られません。

しかもここには主への喜びがみなぎっています。
確信があります。
脈打つ霊的いのちがあります。

「ソロモンは主を愛した」。
これを読むときに、「同じことが自分についても言われたならば…。
そうあってもよいのではないか」と、私たちはひそかに願います。

さて神もまた私たちの愛を望んでおられると、私たちは確信してよいのです。
そのために神は私たちの冷淡な、死んだ、石の心に働かれます。
御子を与えることによって、私たちに働きかけてくださるのです。
十字架上のキリストも私たちの愛に呼びかけます。

主はよみがえった後、良き聖霊を送ってくださいました。
そして聖霊によって今もなお働きかけておられます。
「わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える」と神は言われます。

私たちの氷のような心にも、神への愛の火が小さくともりさえするならば、神は「わたしはくすぶる燈心を消すことはない」と仰せになるのです。

そればかりか、それを吹きおこして、私たちが(かつてペテロが主に言ったように)「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。
あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります」と言えるまでにしてくださいます。

主よ。
あなたは、石の心からは何事をも始められません。
私たち自身、石の心に悩みます。
あなたの愛を私たちの内にともしてください。アーメン

God Bless You!!


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