2018年6月25日(月)
『愛は…、すべてを期待し…。』コリント人への手紙13章4節、7節
愛が何であるかは、主イエスから学ぶほかありません。
十字架上の主をご覧なさい。
侮蔑、嘲弄、拒絶が主を取り囲んでいます。
デンマークの詩人イエンス・ヤコブセンの小説の中で、彼は十字架の場面を描写したのちに、こう語りました。
「彼らが贖いなどに、なんの値打ちも見いださないことを、御子は了解した。
そこで彼は両足を釘から引き抜き、両手をも引きはがすと、飛び降りて、天に上ってしまった。
そして十字架の柱だけが残り、贖いのわざは遂に完成しなかった…」。
事実がそうであったならば、イエスは私たちとさほど違わない方であったでしょう。
が、主は最後まで十字架を離れることはなさいませんでした。
その心に神の愛が燃えていたからです。
そしてその愛は、今だけを見ているのではありません。
その愛は「すべてを期待」します。
イエスは将来を見つめておられたのです。
十字架上の主は、聖霊によって幾千万の罪人が主を信じ、主を通して神の子どもとなるのをご覧になっていたのです。
数え切れない群衆がご自分の血によって聖くされ、十字架に新しいいのちの源を見いだすのを、ご覧になっていたのです。
すべてを期待するこのイエスの愛、それは聖霊によって神の子どもたちの心にも与えられました。
今や彼らは…、望みつつ愛します。
二十世紀初めのヴッパータールに、ひとりの平凡な女性が住んでいて、町の人は彼女を「ハンナおばさん」と呼んで親しんでいました。
どんなに多くの人々に彼女は愛を示し、また彼らをいのちへと導いたことでしょうか。
ただ、彼女の夫は相変わらず、神を恐れない飲んだくれでした。
彼女は祈り続け、愛し続けました。
ついに彼はイエスの恵みによる生まれ変わりを経験します。
が、それには彼女の一生が費やされたのでした。
主よ。
私たちに、愛における忍耐と望みとをお与えください。アーメン
God Bless You!!
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