2018年6月19日(火)の手紙

2018年6月19日(火)


『愛は…、怒らず…。』コリント人への第一の手紙13章4節~5節


なんと人間は互いをひどく苦しめ合うことでしょうか。

心の繊細なある芸術家を知っています。
隣の住人は太い鉄線のような神経をしていて、朝早くから夜更けまでラジオをかけっ放しにするのでした。

たまりかねて、彼が「少しボリュームを落としてください」と頼むと、相手はかんかんに怒り、「文句を言われる筋合いはない」と噛みつきました。
気の毒な芸術家は、これですっかり落ち込んでしまいました。

このような悲劇は絶えず起こっています。

このような人たちを前にするとき、「キリストの愛は立派だ。
が、もう通用しない」と叫びたくなります。

「愛は怒らず」。
しかし、本当の愛には、もう通用しないということはありません。
キリストを通して神のものとして買い戻された人は、見かけはつつましくても、限りなく愛し続けるのです。

古代ギリシャ人によれば、死者の国での最もひどい苦しみは、底の抜けた桶に絶え間なく水を注がせられることでした。

けれども聖書は言います。
神の人にとって底の抜けた桶に水を注ぐこと、または、無意味で徒労と思えるときに愛すること、まさしくそれが喜びであると。

イエスが私のために死なれたからには、私はもはや人々を憎む必要はなく、私の権利をくよくよと求める義務もなく、復讐の炎を燃やす必要もないのです。

これをはっきりととらえたならば、それは私たちに大きな自由を与えます。

いつかある人にこのことを話したら、彼は腹を立てて言いました。
「そんな方法で私たちはいったいどうなるのですか」。

次のように答えるのみでした。
「そうするならば私たちは、十字架にかかりつつ敵を愛した主イエス・キリストとの、交わりに入れられます」。

主よ。
聖霊が私の内に、そのような愛を働かせてくださいますよう。アーメン

God Bless You!!


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