2018年6月18日(月)
『愛は…、 自分の利益を求めず…。』コリント人への第一の手紙13章4節~5節
「私はいくつかの提案をいたしました。
これらについて自由な討論ができればと考えます」。
講演者がそう言って話を終えることがあります。
が、きょうのみことばにも同じような言い方が使われている、と思ってはなりません。
神はここで、世界はしだいに良くなるというような、無責任な提案をなさいません。
そうではなく、私たちをどんな者にするつもりであるかを、神は語っておられるのです。
「愛は自分の利益を求めない」。
これは子どもだましではありません。
同じことがピリピ人への手紙にも語られています。
「自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい」。
説明は不必要です。
私たちはみな、このみことばを前にしてうろたえて、「主よ。本気ですか。
私たちはこのような基準にどうやってかなうでしょう。
私たちのやり方はこうです。
まず私。それからずうっと何もなく、そうしてもう一度、私が現れます。
それから…、そうです。
やっとのことで他の人が出てきます。
が、それは本当にやっとのことです」。
しかし主は黙って、みことばを私たちの前にお示しになるだけです。
「愛は自分の利益を求めない」。
それならば、私たちは今のままでよいのでしょうか。
いいえ。
主は黙ってはおられません。
主は行動されます。
すなわち私たちの兄弟となって、私たちの前でこの規準を生き抜かれたのです。
私たちのために十字架に死なれたこのお方の内に、神の姿を見いだしましょう。十字架の上で主イエスは、ご自分の誉れ、偉大、平安、利益をお求めになりませんでした。
ただ彼がお求めになったのは…、私たちでした。
この救い主が今や聖霊によって、私たちのうちに形をとり、私たちを彼に似る者にしてくださるのです。
「私を新しくしたまえ、永遠の光なる方よ。
み顔の光によって、私の心とたましいをくまなく照らし、満たしたまえ」。アーメン
God Bless You!!
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