2018年6月12日(火)の手紙

2018年6月12日(火)


『愛は親切です。』コリント人への第一の手紙13章4節


このことについて、私はひとつの事件をお話しします。

この霊想を書きつけるために、私は書斎の机に向かっていました。
そしてパウロが愛について語るこの章を、もういちど通して読んだのです。

「愛は親切です」。
明るい太陽のように、みことばは私の心にさし込みました。
そして私は、どうすればこの本の読者を、愛へと駆り立てることができるだろうか、と考えていました。

折しも、玄関のベルが鳴ったのです。

けたたましさに、私は黙想から我に返りました。
家には私しかいません。
自分でドアまで行かなければなりません。
静まっているところを邪魔された私は、少し不機嫌な顔で出て行きました。

雨にぬれた婦人がひとり、傘をパチンとすぼめて、「私は、実はこの上に住んでいる方たちのところへ来たのです」。

「いや、それでしたら、どうぞそちらへいらっしゃい。
別にお止めはしませんよ」。
私はカチンと来て、そう答えました。

すると彼女は笑いながら「ところが、だれもいないらしいのです。
明けてくれませんのでね」。
私は肩をすくめました。
「それじゃあ、帰りましょう」。
そう言って傘をさすと、彼女は去って行きました。

とんでもない邪魔が入ってカンカンになった私は、再び机に戻ります。
えぇと、何を考えていたのかな。

思い出そうとしたとたんに、まるで稲妻のように「愛は親切です」というみことばが心にひらめきました。

そうだった。
人は愛について、なんと美しく書いたり話したり、論じたりすることだろうか。
けれども、雨にぬれた婦人には。
近所のわんぱく坊主には。
同僚に対しては。
そして…。

このみことばは決して立派な道徳というようなものではありません。
私たちの人生へのさばき、神なき生き方への告発というべきです。
このような私たちを新しくするためには、罪の赦しと聖霊とが必要です。

主よ。
私たちのかたくなさを赦し、聖霊によって私たちを変えてください。アーメン

God Bless You!!


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