2018年6月11日(月)の手紙

2018年6月11日(月)


『愛は寛容であり…。』コリント人への第一の手紙13章4節


ある集会で、ある人がひとりの少年のことを話しました。

「彼は欲しいと思う物を何でも手に入れました。
金持ちの父親が買い与えたのです。
が、愛だけはもらうことができなかった。
両親が離婚し、このかわいそうな金持ちの少年は、愛のない世界で成長するのです」。

この少年と同じような人々が、どれほど多くいることでしょうか。
だれからも愛を注がれたことのない人々が。

これは私たちキリスト者への叫びと言えるでしょう。
世界は愛に飢えています。
愛、それは、聖霊が私たちの心に生き働かせようとされるものです。

「愛は寛容」。
これはまた、「愛は大きな広い心を持つ」と直訳できます。

私たちは、はなはだ狭い心の持ち主です。
たかだか自分に同情的な人々を愛する程度です。

それにひきかえ本当の愛は、自分に対して同情的でない人々をも包み込みます。
主イエスは、「自分の敵を愛し…なさい」と言われました。
それが実現していくためには、聖霊がまず私たちの心を広くしてくださらなければどうにもなりません。

ラテン語訳の聖書では「愛は悩むことがある」と訳されます。
愛は、倦むことなく多くの悩みに身をまかせるのです。
なんと私たちから、かけ離れていることでしょうか。

このような愛を、私たちは、贖い主イエスに学ぶことができます。
私たちに代わって十字架にかかられたとき、主はどれほどの苦しみをなめられたことでしょうか。

が、主は愛することを放棄なさいませんでした。
私たちは主にいったい何をもって報いたでしょうか。
が、それでも主は変わらず、私たちを愛しておられます。

初めてこのことを聞いたある若者は、感動して「これこそが愛だ」と叫びました。

主イエスよ。
私たちを狭い心から解放し、そして正しく愛することを教えてください。アーメン

God Bless You!!


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