2018年5月5日(土)の手紙

2018年5月5日(土)


『(キリストは)実に十字架の死にまでも従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて…。』ピリピ人への手紙2章8節~9節


どんなに世間を騒がせた裁判でも、やがては忘れ去られます。
記録はちりにうずもれてしまいます。
が、イエスの裁判だけはいつまでも忘れられることはありません。

「彼は死刑に当たる」。
二千年昔のエルサレムの法廷はそう結審しました。
ローマの総督もためらいつつこの判決に同意します。
「そこでピラトは、そのとき、イエスを、十字架につけるため彼らに引き渡した」。

「彼は死刑に当たる」「除け、除け」。
それ以来、学者も民衆も等しく叫びます。
ニーチェやサルトルのような思想家はイエスを黙殺して片づけます。

イエスが目障りな大衆はエルサレムの群衆に呼応して「除け、除け」と叫ぶでしょう。
また、昔の諸宗教が息を吹き返し、「イエスを除け。彼は死刑に当たる」とこぞって叫びます。

穏和なキリスト教的ヨーロッパ市民は、そんなふうには叫びません。
が、ひそかにイエスを葬り去りたいと願い、「彼は死刑に当たる」という判決を支持するのです。

多数決による判決。
が、ただおひとりだけに対しては、まだ解答が求められていません。
イエス・キリストの父、生ける神です。

しかし解答を求める必要はありせん。
尋ねられる前に、神はご自分の判決を明らかにされたからです。
イエスの復活。それが神の答えです。

「死刑に当たる」「死に値する」と世界中が叫びます。
「そうではない」と神は言われます。
「彼はいのちに値する。
わたしは彼にいのちを与えないわけにいかない。
十字架の死にまでも従順であったので…、それゆえ彼はいのちに値する。
だから、わたし、生ける神は、彼をよみがえらせ」。

復活がイエスへの最終判決です。
それによって、彼に対する人間のほかのすべての審判は、ことごとく打ち破られるのです。

天の父よ。
私たちに御子をはっきりとお示しくださり、感謝いたします。アーメン

God Bless You!!


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