2018年5月24日(木)の手紙

2018年5月24日(木)


『人々はみな、驚き惑って、互いに「いったいこれはどうしたことか」と言った。』使徒行伝2章12節


最初のペンテコステの日に、神は教会による企画や政府機関をわずらわさないで、直ちに人の行動の中に聖霊をお与えになりました。
今日も、ほかのいっさいの出来事とは関係なく、神は聖霊を働かせてくださいます。

するといつもひとつの懸念が生まれます。
昔ながらの、「いったいこれはどうなるのか」という問いが繰り返されるのです。

聖書はこの問いに三重の答えを与えます。
第一。
「主イエスが重要になる」。
生まれながらの人は、このイエスがどのようなお方であるかを知りません。
気にも留めません。
イエス抜きに結構やっていくからです。

しかし聖霊が地を行き巡られるとき、良心は目覚めさせられて、人は自分とその罪を思って惨めになります。
そのときに、聖霊は十字架上の救い主を示してくださいます。
そして人々は主のもとへと急ぎ、信じ、賛美します。

第二。
「人々が新しく生まれる」。
信じられないことが起こります。
世のいかなる権力にもなしえないことが、力ある聖霊にはできるのです。
聖霊は人を新しく造り変えてくださいます。
このような変化を必要としない人々がいるでしょうか。

第三。
「主の教会が集められる」。
最初のペンテコステの日に、人々は「いったいこれはどうなるのか」と言いました。
そして彼らはその夜に、その成り行きを目撃することになります。
三千人がイエスを信じるのです。

そして彼らは(聖書の言うとおりに)「心を一つにし」ました。
生ける神の教会が、「ともに集められ」始めたのでした。

「イエスを信じる聖なる人々を、王たちを、預言者たちを、使徒たちを、信仰者たちを、支配した聖霊よ。
私たちにもご自分をあらわしたまえ」。アーメン

God Bless You!!


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