2018年5月23日(水)の手紙

2018年5月23日(水)


『すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。』使徒行伝2章4節


私は演壇の上に座って会場を見渡しました。
さまざまな性向と傾向を持つ青年たちで、会場は満員です。

私は胸がドキドキしていました。
キリスト教についての討論会はすでに過熱気味で、収拾困難とさえ見えたからです。
そして圧倒的多数は、キリスト教を猛然と頭から否定していました。

少し前からひとりの人が話し始めました。
私は彼が真実なキリスト者であることを知っていました。
が、決して話が上手なわけではありません。
さんざんに叩かれても仕方あるまい…。

正直に言って、話は聞き流すつもりでいました。
が、それは長く続きませんでした。

まず彼は演壇から話の要点を短く語りました。
「私は自分に救いをもたらした恵みを誇りとします」。

ほんの短いことばでした。
が、会場は水を打ったように静まりました。
口を開く者はいません。
討論は終わったのです。

帰る道々、私は考えました。
「どういうわけだったのだろうか」。

その時、きょうのみことばが思い浮かびました。
人は神の聖霊に満たされるとき、イエスによる神の救いを、力に適ちて語ることができるのです。

宗教じみたおしゃべりはよく行われます。
説教壇の上からも。
福音をあかしすべき時にさえも。
そしてそれらはまるで空虚で惨めなものなのです。

最初のペンテコステの日に、大工、漁師というようなイエスの弟子たちが、人々の築いた心の壁を突き崩しました。
神の聖い霊に満たされていたからです。

主よ。
私たちのうちに、あなたの強いあかしをお与えください。アーメン

God Bless You!!


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