2018年4月5日(木)の手紙

2018年4月5日(木)


『週の初めの日の明け方早く、女たちは、準備しておいた香料を持って墓に着いた。見ると、石が墓からわきにころがしてあった。』ルカによる福音書24章1節~2節


イースターの朝、イエスのなきがらに塗るために、女性たちが携えて行った香料は、いったいどうなったでしょうか。
おそらく高価なものであったはずですが…。

同じように、こんな疑問も生まれてきます。
取税人レビがイエスに呼ばれ、立ち上がって従ったとき、山のような彼の財産や、出納簿などはどうなったでしょうか。

「放蕩息子」が父親のもとに帰ろうと出発したとき、彼が世話をしていた豚はどうなったでしょうか。

エマオに向かっていたふたりの弟子が、その目が開けて復活のイエスを認めたとき、彼らの夕食はどうなったでしょうか。
彼らは他の弟子たちに「イエスは生きておられる」と知らせるために、あわててエルサレムに駆け戻ったのです。

復活の主がゲネサレ湖のほとりでペテロに現れ、服従とあかしの務めをお命じになったとき、ペテロの網や舟はどうなったでしょうか。

実際、これらはみな、どうなったのか、私たちは知りません。
が、このことだけはわかります。
よみがえった贖い主がひとりの人間にご自分を現すと、その人が大切にしてきた多くのものは、あとに残されるのです

古い友人、うしろ暗い関係、きよくない商取り引き、悪習慣のきずなの数々が…。

それはイエスが、「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません」と言われたとおりです。

主の贖いの力、そして栄光に満ちた臨在こそが、さまざまな古いなわめや価値よりもはるかにまさるものなので、多くのものはあとに残されるのです。

主よ。
私たちの心を完全に征服してください。アーメン

God Bless You!!


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