2018年4月4日(水)の手紙

2018年4月3日(水)


『番兵たちは、陶使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。』マタイによる福音書28章4節


あるSF小説でH・ドミニクが感動的な場面を描いています。
新しい巨大なパナマ運河を掘る話です。
開通式には幾千もの飛行船が上空に浮かび、乗客たちは最後の柵を取り払う瞬間を見ようとしました。

両側からふたつの海の水が運河の川床に向かって猛烈に流れ込みます。
そうして、ふたつの流れがぶつかったところに、狂気のような大波の激突が起きるのでした…。

ちょうどそれと同じように、人間の思い描く観念と神の事実とは真っ向からぶつかりあいます。
その時、人間は死ぬほどに恐れるほかありません。

イエスがよみがえった時、番兵たちはなすすべを知りませんでした。
何が起こったのか、彼らには理解できなかったのです。

新約聖書の至る所で、このような神の事実との衝突を見ることができます。
クリスマスの夜、羊飼いたちは恐れおののきました。
また、神がご自分の御子を死ぬにまかせられ、不気味な闇が全地を襲ったとき、人々は胸を打ち叩いて逃げ帰ったのです。

不思議な大漁を経験したとき、ペテロは驚いてイエスの足もとにひれ伏し、「私のような者から離れてください。
私は、罪深い人間ですから」と言いました。

このような驚きを経験しないままで、人が信仰を持つに至るとは考えられません。

しかし人間が神の現実とそのみわざとの前に身を屈するとき、神の国は私たちの心に始まります。
人はそのとき、イエスによってなされた神のみわざの大きさを理解します。

そして、これを受け入れ、信じ、礼拝するようになるのです。

主よ。
信じることができるよう、私たちを照らしてください。アーメン

God Bless You!!


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