2018年4月23日(月)の手紙

2018年4月23日(月)


『弟子たちには、それがイエスであることがわからなかった。イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ。食べる物がありませんね。」』ヨハネによる福音書21章4節~5節


なんという不思議なできごとでしょうか。
弟子たちの舟はゆっくりと岸辺に近づいて行きます。
すると突然、波打ち際に、見知らぬ人が姿を現し、彼らに向かって叫びました。「子どもたちよ。食べるものがありませんね」。

「子どもたちよ」。
見知らぬ人がそう叫ぶのです。
それも幼椎園においてではなく、一晩のむだ働きで不機嫌になっている、無骨で粗野な男たちに向かってです。

「子どもたちよ」。
こっけいではありませんか。

だが、不思議なことに、弟子たちは笑いません。
岸辺の人が彼らの主イエスであることに、すぐに気がついたからです。
主が私たちを「子どもたちよ」と呼んでくださるならば、それは私たちが間違いのない道を歩いているしるしです。

子どもは頼りない存在です。
私たちもそうです。
自分たちが作った原水爆におびえなければならないという世界の、今日の問題に、どう対処すればよいのか。

自分の性質、願望、欲望をどう制御すればよいのか。
自分の生と死に、どう対処するのか。
そして自分の罪、咎をどうするのか。
私たちは頼りない存在です。

そして、この事実を認める人だけが、神はなぜ御子を救い主として世に遣わしてくださったかを理解するのです。

イエスは、神がこれを「賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現してくださった」のだ、と言われました。
主はまた、「子どもたちのようにならない限り…」とも警告なさっています。

主の前に、自分の寄るべなき現実を認めて、みもとへと急ぐ、この私たちをも、どうか主が「子どもたちよ」と呼んでくださいますように。

主よ。
私たち自身の生涯の、ありのままの姿に、私たちの目を開かせてください。アーメン

God Bless You!!


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