2018年4月15日(日)の手紙

2018年4月15日(日)


『後になって、イエスは、その11人が食卓に着いているところに現れて、彼らの不信仰とかたくなな心をお責めになった。』マルコによる福音書16章14節


たとえようもない輝き、ことばに尽くせない喜びが、新約聖書の復活の記事にはあふれています。

そのただ中に、突然、この暗い場面、恐るべき描写が現れます。

弟子たちは、喜びにあふれて食卓に着いているところです。
彼らはどんどんと食べ物に手を伸ばしたことでしょう。
不安な数日間、彼らはほとんど何も食べていなかったのです。

しかし今、イエスはよみがえられました。
彼らの英雄である救い主が、死から解き放たれたのです。
「いざともに喜ばん」です。

突然、そこに復活の主が現れました。
そして喜んで主を取り囲もうとしたとたん、弟子たちは驚きに身を固くします。主が責め始められたのです。

イースターの喜び、イースターの慰め、輝きについて語ることは多いでしょう。
が、私たちはここにイースターの怒りを聞くのです。

確かにイエスは怒っておられます。
愛する弟子たちを厳しく取り扱っておられます。

さてこの怒りに、なおよく注目すべきべきです。
木曜の夜の弟子たちのだらしなさ、主を否認したこと、それらの罪に対してイエスがお怒りになったとしても不思議ではありません。

が、主はそれについては何も言われません。
主はそれらの罪のために死なれたからです。
主はその罪を十字架に担い去られたのです。

しかし、主のみことばを信じなかった彼らの、その不信仰を、主はお責めになります。
あれほど何度も、ご自分の復活を予告されたのですから。

イエスの尊いみわざによって、神は私たちの心を取り戻そうとしてくださいます。
が、私たちの心の頑なさは、それを理解しようとしません。
私たちの心の固さよ。

主よ。
信じるために、私たちを私たち自身から解き放ってください。アーメン

God Bless You!!


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