2018年4月1日(日)の手紙

2018年4月1日(日)


『夕方になって、アリマタヤの金持ちでヨセフという人が来た。彼もイエスの弟子になっていた。 …ヨセフはそれ(イエスのからだ)を取り降ろして、きれいな亜麻布に包み、岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。』マタイによる福音書27章57節~60節


ヨセフはなんと変わった人でしょう。
彼も死とともに生きる者であり、死を免れることはできません。
そこで彼は生きているうちに自分の墓を用意します。
岩をくり抜いて造るので、ずいぶん費用もかかりました。

エジプトの王たちもまた、生きている内に墓所を造らせました。
が、彼らがピラミッドを築いたのは、死んだ後も、人々に忘れられないためでした。

その点、ヨセフはまったく違います。
そこに立派な墓標があったなどとは、ついぞ聞きません。

「いつの日か自分のなきがらをここに納める時、自分はどうなるのだろうか」。
男は幾たびとなく墓穴の前で自問したことでしょう。

軽薄な現代人は、自分があたかも永遠に生きるかのように振舞います。
が、死を計算に入れ、死を起点にして生きる人は、世のむなしさへの新しい目を与えられます。
同じことはヨセフにも起こり、それが彼をイエスへと導いたのです。

確かにヨセフも墓につながれた者でしたが、イエスのためには、喜んでそれを提供しました。
こうして彼の墓は、いのちの記念碑となります。
イエスがここで死からよみがえられたからです。

それ以来、ヨセフは自分の墓を復活の光のもとで見るようになりました。

そうです。
私たちもまた、自分の墓をそのように見、墓の傍らで「イエスは生きておられる」と歌い、その歌は「頭なる主は枝なるわれをも引き寄せたもう」と続くのです。

今や墓は最後ではありません。
私たちにも、死から目覚める日が来ます。
この真理が多くの人々には脅威であっても、イエスの弟子たちは喜んでその日を待つのです。

主よ。
いのちの君よ。
あなたは私のたましいを滅ぼされません。アーメン

God Bless You!!


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