2018年3月8日(木)の手紙

2018年3月8日(木)


『それから、いばらで冠を編み、頭にかぶらせ…。』マタイによる福音書27章29節


あるとき、私はストラスブールのホテルで貴重な経験をしました。
ロビーに座って、イエスのいばらの冠について、説教の備えをしていると、そこへひとりの婦人が近寄って来ました。

「私は昨晩、十字架のイエスについて、先生のお話をうかがいました。
それで、先生がきっと興味を持たれると思うことを、少しお話しさせてください」。

そう言ってハンドバッグの中から小さな包みを取り出すと、彼女はそれを私に差し出して、説明を始めました。
「私はいまパレスチナから帰ったばかりです。
いばらの枝を二、三本折ってきました。
こんな冠をイエスさまはかぶせられたのですね」。

私の掌には、長さ三センチもあるいばらのとげが載っていました。
それは説教の準備に大きな示唆を与えました。
いばらは実に恐ろしい代物です。
私はその冠をかぶった方のことを思い浮かべました。

「おお、みかしらよ。
血と傷と痛みと嘲りとに満ちて。
おお、みかしらよ。
侮られ、いばらの冠を載せて…」(パウル・ゲルハルト)。

恐ろしいいばらのとげを、忘れることができません。
聖書にはこう書いてあります。
「生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです」と。

しかし、ここでは逆のことが起こりました。
受肉した神が、人間の手中に落ちたのです。
人間は彼に、身の毛のよだついばらの冠をかぶせました。
兵士たちばかりか、私たちみんなで寄ってたかってです。

ハイデルベルク信仰問答(第五)に、こうあります。
「私は生まれつき、神と隣人とを憎む傾向にある…」。

私たちは変わることができるでしょうか。
できますとも。
いばらの冠のお方に頼りさえするならば。

主キリストよ。
神が私たちを愛してくださることができるようにと、あなたはご自分を、憎まれる者として差し出してくださいました。
心からあなたを礼拝します。アーメン

God Bless You!!


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