2018年3月31日(土)の手紙

2018年3月31日(土)


『何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。』ローマ人への手紙4章5節


カメルーンでの宣教活動から、イングリート・トロビッシュ夫人が珍しい事件を報告しています。
「ある日、ポールがわが家に飛び込んで来て、息もつかずに言いました。
『大変だ、みんなが出て行く。
宿舎は空っぽだ」。

私たちは窓の外を見ました。
なるほど人々が荷物を頭に載せて出て行くところでした…」。

宣教師は一団に追い付いて尋ねます。
「どうしたことだ、話してくれ」。

すると答えが返ってきました。
「いつまでミッションにいて、神の道を歩んでも、何の目当てもない」。

山並みを指して、男はこうも言いました。
「我々の罪は、あの山々のようにうず高い。神の道は厳しすぎる」。
言い分はもっともではありませんか。

それで多くの人たちが内心あるいは公然と、福音に背を向けて、「厳しすぎる。逃げた方がましだ」と言い出すのです。
多くのキリスト者が自分の信仰生活に悩み、聖く正しい者になりたいと願いつつ、それがうまくはいかず、「神の道は厳しすぎる」とため息をつくのです。

宣教師が彼らにもう一度キリストの十字架を語ると、カメルーン人は戻って来ました。
なんと喜ばしいことでしょうか。
ここにこそ神の国のただ中へと続く「神の道」が、私たちの前に開かれているのです。

「わざによる」のではありません。
もはや自分を苦しめることはありません。心配も不安もない。

その代わりに…

私たちは、十字架の上で私たちのために死なれた神の御子に、自分をまったくゆだねます。
主が私たちを義としてくださるのです。
私たちを洗いきよめてくださいます。
聖別してくださいます。
すべてを新しくしてくださいます。

それは、詩に歌われるとおりです。
「なんと長く、私は苦しんだこと、罪と痛みにあえぎつつ。
しかし、主に明け渡したとき、主の平安は私の心に押し寄せた」

主イエスよ。
神の新しい道よ。
あなたに感謝いたします。

God Bless You!!


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