2018年3月25日(日)の手紙

2018年3月25日(日)


『彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし…。』イザヤ書53章5節


なんという不思議なみことばでしょうか。
なんという力あるみことばでしょうか。
これを把握しさえすれば、私たちは、人生に必要なものを充分に獲得したと言えるでしょう。

このみことばは私たちの最も深い願いを捕らえ、エルサレム城外のゴルゴタの丘へと私たちの心を導きます。
そこには神の御子、主イエスが死なれた、恐ろしい十字架がそびえ立っています。

「ゴルゴタの秘密を理解したというのか」。
きょうのみことばは言います。
「しかし、理解だけでは何の益にもならない。
この秘密はまず経験したのちに、初めて理解するものだ。
十字架にかかった方は、あなたにまず平安を経験させてくださるのだ」。

ゲーテの、あの美しい詩を知っていますか。
「ああ、私は喧噪に倦み疲れた。
悲しんだり、喜んだりが、何になる。
甘美なる平安よ。
ああ、来れ、わが心に」。

だれもかれもの心が、溜息をついて言います。
「ああ、平安があれば」。

そのすばらしいことが起こるのです。
イエスの十字架は、「…あれば」を「…あるため」に変えるのです。

きょうのみことばは、十字架をさし示して叫びます。
「よく見なさい。
イエスはそこであなたのために死なれた。
あなたに平安があるために」。

イエスの十字架は、私たちの願いを現実へと変え、私たちのあこがれを充足へと変えます。
まず私たちはそれを経験することができます。
そうすれば、それがどんなふうに起きたのかを、いよいよ深く理解するようになります。

すなわち私たちの平安のなさの原因が罪にあること。
しかし、またイエスの十字架が咎をおおい、赦しを与えることを、理解するのです。

主よ。
私たちの最も深い願いが十字架のみもとで満たされたことを感謝いたします。アーメン

God Bless You!!


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