2018年3月22日(木)の手紙

2018年3月22日(木)


『彼らのひとりがすぐ走って行って、海綿を取り、それに酸いぶどう酒を含ませて、葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。ほかの者たちは、「待て…」と言った。』マタイによる福音書27章48節~49節


私たちは、恐ろしいゴルゴタの刑場に足を踏み入れます。
が、私たちには、その深みを窮め尽くすことはできません。

苦悩の中から主は叫ばれました。
「わたしは渇く」。

叫びが見張り兵のひとりを動かしました。
彼は海綿に酸いぶどう酒を含ませると、葦の棒につけて、救い主に飲ませます。

葦の棒につけた海綿。そ
それはなんと誇らしい軍旗でしょう。
十字架の回りには憎しみが渦巻きます。
そして嘲弄。
無関心。
そして石のように固い心。

そこへこの男は風変わりな軍旗を掲げて飛び出したのです。
仲間が「待て」と叫んでも意に介しません。
彼は集団の中から抜け出したのです。
彼の持つ海綿は、大勢に流されない人々の旗印です。

主イエスのために、ひとりの人間が群衆からわが身を引き離す。
それは勇気のいることです。

この兵士の心には何が起こったのでしょうか。
確かに十字架上におられる方が彼の心を動かしたのです。
そのために、彼はもはや無関心ではあり得ませんでした。

葦の棒につけた海綿は、「軽蔑し、嘲笑し、無関心であったのに、イエスを信じた」人たちの旗でもあります。
私たちは、この軍旗に従う大軍団を思い描くことができます。

ツィンツェンドルフ伯の墓石には、こう刻んであります。
「私はあらゆる時代を、そうだ、永遠の世にまでも霊において旅をした。
何ひとつ心に迫るものはなかった。
ついに、あのゴルゴタにたどりつくまでは」。

私はまた、19世紀のリバイバルのころに、こう告白した先達に思いをはせます。
「だれが知らなくても、私は救い主のしもべ」。

主よ。
私たちを群衆から解き放ってください。
まったくあなたのものとなるため、お助けください。アーメン

God Bless You!!


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