2018年3月21日(水)の手紙

2018年3月21日(水)


『こうして、イエスを十字架につけてから、彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け、そこにすわって、イエスの見張りをした。』マタイによる福音書27章35節~36節


古代では、くじ引きに小石を使いました。
三本の十字架が立つゴルゴタの丘に、堅い小石のぶつかりあう音が響きます。
が、人間の心はそれ以上に固いものでした。

三人の人が、苦しみつつ死んで行くというのに、兵士たちは平然とさいころを投げていたのです。
最近十年の歴史も、現代人の持つ、人の死への冷淡さをあかししています。

兵士たちの無慈悲が、固い心のすべてではありません。
十字架の傍らで、彼らはさらにあからさまにその正体を暴露することになります。

三本の十字架の真ん中にかかった方は、生ける神の御子です。
神の前に罪人を贖う大いなる犠牲として十字架につき、「世の罪を取り除く神の小羊」として、彼は死なれました。

イエスの傍らで、やはり十字架刑に処せられて、死につつある人。
彼はイエスを神の御子と告白し、自分の罪を言い表して、イエスに受け入れられました。
「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」。

十字架の下にたたずむローマの百人隊長。
彼は、イエスが息を引き取られた時、「この方はまことに神の子であった」と思わず叫びました。
これらは、十字架にかかった方によって、その固い心を砕かれた人たちです。

それなのに、兵士たちはなお、さいころに熱中します。
「賭けには勝たなければ。死んでいく者に興味はない」。
心はそれほどまでにも固いのです。
当時も、そして今日も。
仕事のほうがイエスよりも大切だとは…。

主よ。
主の十字架が私たちの祝福となるよう、私たちの心を柔らかにしてください。アーメン

God Bless You!!


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