2018年3月20日(火)
『こうして、イエスを十字架につけてから、彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け…。』マタイによる福音書27章35節
「いったいイエスの遺品を受け取る相続人は、ひとりもいないのか」。
すると、兵士たちは笑いとばして言ったことでしょう。
「犯罪者の場合には、国が相続人になるのだ。
そして、このような、身につけていた物は、我々のものにするのが、昔からのしきたりでね。
ところがこのイエスは、着物以外に残すものがない。
だから相続人は我々だけなのだ」。
しかし兵士たちは間違っていました。
彼らの主張に反して、あらゆる時代、あらゆる大陸から、力強い賛美の声がわき上がるではありませんか。
イエスを神の御子、また自分の贖い主と信じる人々の声です。
さあ聞け、彼らの叫び。
「イエスの衣だけを大切にせよ。主は麗しい衣を通された。
キリストの血と義、それはわが飾り、わが礼服。
神の御前に立つとき、御国に入るとき、着る衣。」(ツィンツェンドルフ)
また、彼らは叫びます。
「我らはイエスのまことの証人。主がこうべを垂れて死なれた時、我らに平和を遺された。
ああ平和、いかなる分別にもまさるもの」。
そしてコーラスが続きます。
「我ら罪人と聖なる神との完全な和解を、主は相続分として我らに遣われた」。
あの偉大な詩人ダビデ王は、はるかの昔に、イエスからの相続分として、こんな測り綱を望み見ていました。
「測り綱は、私の好む所に落ちた。まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ」。
主イエスよ。
私たちをむなし手で帰らせないでください。アーメン
God Bless You!!
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