2018年3月13日(火)の手紙

2018年3月13日(火)


『そして、イエスはご自分で十字架を負って、「どくろの地」という場所に出て行かれた。』ヨハネによる福音書19章17節


エルサレムの城門から喧噪があふれ出てきます。
駆け回る子どもたち、泣き叫ぶ女たち、威張りちらす祭司たち、口汚くののしる庶民、そしてローマの軍団。

それからあの方です。
世界の慰め、受肉した神ご自身。
イエスが出て来られます。
彼に目を留める者はほとんどいません。
人々は、その肩に食いこむ巨大な恐ろしい十字架ばかりを見ています。

十字架は、純粋に人間の発明によるものです。
カルタゴで、ひとりの病める頭脳によって造り出されました。
オリゲネスによると、受刑者は時には48時間も生き延びた、といいます。

人々は、十字架の発明者を精神病院に送りませんでした。
それどころか、カルタゴを征服し破壊(前146年前)したローマ人は、この恐るべき発明品を自国にもち帰るのです。

十字架であれ、人間の頭脳はいつも同じものをひねり出します。
すなわち、苦しみと悲しみとを生み出すのです。

十字架はローマの権力の裏の顔でした。
ローマは壮麗な輝きを放ちながら、その裏側は十字架であったのです。

自分たちに無関係と思ってはなりません。
時に私たちは、自分の思いをあくまでも通そうとします。
その際に、多くの小さな十字架を他人のために組み立てるのです。

夫は妻に十字架を立ててやり、また、その逆もあります。
子どもたちは、先生のために十字架大工となります。
隣人同士が互いにひどく苦しめ合うこともあります。

聖書は「人の心の思い計ることは、幼い時から悪であるからだ」と記しています。
が、十字架にかかられたあの方の約束はなんと麗しいことでしょうか。
人は新しい人生へ、愛に満ちた人生へと、新たに生まれることができるのです。

主よ。
愛せるようお助けください。
あなたに十字架をしつらえた人々を、あなたが愛されたように。アーメン

God Bless You!!


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