2018年2月6日(火)
『彼をそばに連れて来るように言いつけられた。』ルカによる福音書18章40節
人々をイエスのもとに連れて行く。
それはなんと麗しい仕事でしょうか。
私たちは他の人たちを誘惑するのが上手です。
そして罪と不信仰に進むよう、人々を励ますのは、恐ろしいことです。
が、ここでの様子はまったく違ったものです。
名もない人々が、哀れな物ごいをイエスへと導くことに没頭するのです。
これは、キリスト者にとって最も喜ばしい仕事です。
ツィンツェンドルフ伯(1700-60)は、イエスの御名を知らせるために全世界に多くの宣教師を送り出した人ですが、彼自身のことばによれば、その心は「たましいを小羊へと導くために」燃えました。
死の床でも、彼は喜びつつ、友人たちに、当時の言い回しで「私たちの経綸時代から、何という大群が小羊の御座の前に立っていることか」と語りました。
今日では理解できなくなったこの用語に、説明の必要はありません。
それよりも「この私たちの時代からは、主イエスのもとへ導かれた人が、ひとりでもいるだろうか」と問うべきです。
ひとりでもいるだろうか。
「いや、それは牧師さんの仕事だろう」。
とんでもないことです。
聖書に記された最初のキリスト者たちは、もっとよく事柄をわきまえていました。
激しい迫害のために、エルサレムから逃げなければならなかった彼らのことを、聖書はこう言っています。
「散らされた人たちは、御言葉を宣べながら巡り歩いた」。
彼らは無名の人たちであり、普通のキリスト者でしたが、心はイエス・キリストによる神の救いに燃えていたのです。
主よ。
教会の怠惰をお赦しください。
私たちをあなたの証人としてください。アーメン
God Bless You!!
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