2018年2月29日(金)の手紙

2018年2月29日(木)


うるう年の方のために・・・

『すると、大祭司は、自分の衣を引き裂いて言った。「「神への冒?だ。」』マタイによる福音書26章65節


なぜ、今日の人々はイエスに驚かないのでしょうか。
なぜ、自分の衣を引き裂かないのでしょうか。
おそらく、イエスのみことばの真意を把握していないからです。

十字架の前夜、これはイエスの審問の場面です。
取り調べは一向に進みません。
その時、大祭司が立ち上がって尋ねました。
「生ける神によって命じる。
あなたは神の子なのか、答えなさい」。

「あなたの言うとおりです」とイエスは言われました。
「間もなくわたしは神の右の座に着き、やがて栄光のうちに再び来るのです」。

そこで大祭司は自分の衣を引き裂いて叫びました。
「神への冒涜だ。彼は死刑に当たる」。

イエスはご自分について途方もないことを言われたのだと、大祭司は正確に理解したのです。
「もしもこのイエスの言い分が本当ならば、私の知性は何も言えなくなる」。

そうです。
神が惨めな引かれ者の姿をもって世に来られた、などということを、私たちの知性が納得するでしょうか。

大祭司はつぶやきました。
「イエスの言い分が本当であるならば、ローマ皇帝も、世のすべての権力も、それらはみなつかの間のいのちだ。
すべての力は、この捕らわれ人のものなのだから」。

大祭司は知っていました。
「このイエスを殺すか、信じて伏し拝むか。
ふたつのひとつだ」。

この決断を前にするのは、エルサレムの議会だけではありません。
私たちもまた、決断を迫られています。
心の中で改めて彼を殺すのか、彼に降服して自分を彼のものとして明け渡すのか、そのどちらかです。

主よ。
ご自身についての明らかな証言を感謝いたします。アーメン

God Bless You!!


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