2018年2月16日(金)の手紙

2018年2月16日(金)


『イエスがベタニヤで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられたとき、食卓に着いておられるとひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油の入った石膏のつぼを持ってきて、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。』マルコによる福音書14章3節


高価な香油の壷は、イエスの生涯において不思議な登場の仕方をします。

イエスはもてなしの席についておられました。
突然、ひとりの女性が走り寄り、主の頭に高価なバラの香水を注ぎます。
彼女は気が急いていて、壷を開けずにいきなり割ってしまいました。

狂信者なのですか。
いいえ。
私たちはここに偉大なるものを見ます。
信仰の熱情。
現れてくださった神への熱情です。

今日、至る所で清涼飲料水の広告を見かけます。
「飲む前に冷やしてどうぞ」。
今日、冷えたキリスト教が宣伝されているのでは、と思われる節なきにしもあらずです。

けれども聖書はそのようなキリスト教を知りません。
エマオで二人の弟子たちが復活の主に気づいたあと、彼らはまずこう言ったのです。
「道々お話しになっている間も… 私たちの心はうちに燃えていたではないか」。

パウロも言いました。
「神の愛が私たちの心に注がれている」。
これこそが信仰の熱情ではありませんか。
ここに私たちは、イエスによって点火された人々の心を見るのです。

私たちの冷え切ったキリスト者生活は、なんと哀れなものでしょうか。
いったいどうすれば変わることができるでしょうか。

救い主への私たちの愛は、私たち自身が主の愛に満たされ溢れる、その度合いに応じて深まっていきます。
また、私たちは、主の愛の力を十字架のうちに見いだします。
主が十字架において、神の前に私たちの保証人となり、私たちの罪の代価を支払ってくださったからです。

主よ。
私たちの心の冷たさを告白します。
燃える心を切に求めます。アーメン

God Bless You!!


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