2018年2月13日(火)の手紙

2018年2月13日(火)


『神をあがめながらイエスについて行った。見て民はみな神を賛美した。』ルカによる福音書18章43節


冷え切った場所に停めておいた車は、エンジンをかけようとしてもなかなか始動しません。
そのときの、いやな気分。

ようやくブルルンとかかってくれると、ホッとします。
すると、あとは自然に動き出します。
問題は始動の点火です。

神の国でもやはり、この点火が必要です。
ここにそれを見ることができます。

主イエスは、物ごいの目を癒されました。
あふれる喜びに、男は神をたたえ始めます。
大きなしわがれ声が聞こえて来そうです。

人々はそれまでは、黙って傍観していました。
ある人たちは、イエスがこんな宿無しにかかずらって、そばにいる自分たちを忘れたかのように振舞われるのを、腹立たしく思ったでしょう。
また、別の人たちは、心動かされて「このイエスはどういう方なのか」と考えました。

人々のそのようなためらいを打ち破って、突然に賛美の声があがるのです。
美しくはないけれども、心の底からわき上がるその賛美に、人々は驚いて、耳を傾け、はっとしました。

最初に控えめな声がもれたかと思うや、それは太い男の声となり、次には、もう人々も共に歌い出していて、ついには雷鳴のような歌声となり。
「民はみな神を賛美した」のです。

哀れな物ごいが群衆を導いて、神への賛美にかり立てたのでした。

このような始動点火をもたらすために、いかに多くのキリスト者や牧師たちが苦労することでしょうか。
それでも車は動き出さない。
どうしてでしょうか。

主よ。
私たちを、主への喜びを抱き続ける、聖霊に満たされた民としてください。アーメン

God Bless You!!


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