2018年2月12日(月)
『これを見て民はみな神を賛美した。』ルカによる福音書18章43節
ことの発端は、主イエスが物ごいの目を癒されたことです。
なんと大いなることでしょうか。
今日、多くの人々は言います。
「私はもっと大いなることをしていただいた。
すべての罪を赦していただいた。
十字架によって、生ける神の子どもにしていただいた。
暗やみの主権から救い出されて、主の支配に移していただいた」。
なるほどそれは「もっと大いなること」でしょう。
だが、目の見えないこの人をご覧なさい。
彼は「神をあがめながらイエスについて行った」のです。
ここでは賛美と服従とが、はっきりと繋がっています。
主に従う真剣な信者。
それはどこにでも見られます。
主が生きておられるからこそ、従うこともできるのです。
が、時にその人々から、従うことが困難で窮屈だとの印象を受けることがあります。
「主への喜び」が感じられません。
何かがおかしいのです。
あるいはまた、型どおりの賛美はするという人々です。
けれども生活が一貫していません。
十字架を負ってゴルゴタで死んでくださった、あの方に従う人々であるとは、傍目にも、そうは見えません。
何かがおかしいのです。
真剣に主に従うことと、救いのゆえに生ける神を賛美しうること。
このふたつを持つとき、人は本当に救いの世界に入っているのです。
主よ。
私たちに、本当の、聖霊のお働きによるキリスト者生活を味わわせてください。 アーメン
God Bless You!!
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