2018年2月1日(木)の手紙

2018年2月1日(木)


『彼は大声で、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と言った。彼を黙らせようとして、先頭にいた人々がたしなめたが、盲人はますます「ダビデの子よ。私をあわれんでください」と叫び立てた。』ルカによる福音書18章38節~39節


なんというひどい光景でしょうか。
主イエスに従いながら、目の見えない哀れな物ごいに眉をしかめる人々。
おそらく彼らもイエスの話を聞くために遠くから来たのでしょう。
それなのに、この男が叫ぶせいで主の声が聞こえないというのです。

イエスの弟子たちまでもが、時に情けない振舞いをすることはありえますが、それはやはり悲しいことです。

さて、事件の成り行きを追いましょう。
イエスの追従者らに冷たくあしらわれて、この人はがっかりして考えます。
「一団がこんなものならば、もうイエスのことは知りたくもない。やめよう」。
ところが幸いなことに、そうはならなかったのです。
弟子たちに幻滅しても、この人はなお続いてイエスに向かって叫び続けました。

最近ドイツに留学してきたインド人のキリスト者がいます。
以前はキリスト者たちに幻滅し、キリスト教を否定していたそうです。
残念なことです。
教会にとって不名誉なことです。

しかし、このインド人にも問題はありました。
もっと早く、この目の見えない物ごいに倣うべきでした。

「もしもイエスが救い主であるならば、事実、そうなのだが。
私はこの方の救いにあずからなければならない。
たとえ、いわゆる全キリスト教会が救いにふさわしくないさまを示しているとしても。
すべてはただイエスご自身なのだ」と。

主よ。
私があなたのものとなることを、何ものにも妨げさせないでください。アーメン

God Bless You!!


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