2018年12月6日(木)の手紙

2018年12月6日(木)


『(シメオンは)主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。』ルカによる福音書2章26節


これはなんと驚くべきみことばでしょうか。
主キリストにお会いする前に、死を見ることが私たちにも起こりうるからです。

神の御怒り、罪、永遠の滅び。
これらから救う方を知らずに死んでいく。
なんと恐ろしいことでしょうか。

死は子どもだましではありません。
人間は幾たびも、死を自然の成り行きだと思い込もうとしました。
が、死の恐怖を払いのけるのには成功しませんでした。

無理もないことです。
死は生物学的必然以上のことだからです。

聖書は死を「罪から来る報酬」と呼びます。
死は、私たちが罪人であり、また、神の御怒りが罪の世界にのしかかっていることの、動かしがたいしるしです。

それゆえに死には恐れが伴います。

そして死のあとに何が来るのでしょうか。
死の餌食となった人々を奪還するために働いてきた一人の医者が、こう言いました。
「死がすべてを終わらせる終止符であったならば、どんなによいことだろう。
が、やつは死んでゆく人の傍らで不気味に笑いながら、『さあ、これからどうなるのだ』と尋ねる疑問符である」。

けれども死は、終止符でもなく、疑問符でもありません。
死は、コロン記号(:)のように、こう続けます。

死:「人間には一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」。

そして救い主も、贖い主もなく、罪の赦しも、生ける望みもないままで、すべての人が死に遭遇するとすれば。
それはなんと恐ろしいことでしょうか。

シメオンとともに、次のように言える人は幸いです。
「主よ。今こそあなたは、あなたのしもベを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。
あなたの御救いを見たからです」。

主よ。
冷たい死の手に捕らえられないうちに、私たちをいのちに導いてください。アーメン

God Bless You!!


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