2018年12月20日(木)
『そして、群衆は、イエスの前を行く者も、あとに従う者も、こう言って叫んでいた。「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。」』マタイによる福音書21章9節
イエスのエルサレム入城の際に、たまたま大群衆に巻き込まれたローマの新聞記者がいたとします。
さて彼はこの事件をぜひとも報道したいと考えました。
が、残念ながらわからないことだらけです。
「ろばに乗るこの人こそは、旧約の預言者たちが『神が遣わす世界の救い主』として約束した、そのお方なのだ」とだれかが教えてくれた以外、記者には何一つわかりません。
さて私は想像しますが、この記者は喜び叫ぶ人々の一人をつかまえて尋ねます。
「この、世界の救い主は、みすぼらしくはないですか」。
イエラエル人は笑いながら答えます。
でも、それがあの方の最も麗しいところです。
神は偉大で恐るべき方でしょう。
シナイ山で私たちの先祖たちに話そうとなさると、彼らが逃げ出したほどです。
その大いなる神がご自分を低くして、イエスにおいて地上に来られたのです。
私は子どもたちをイエスのもとに連れて行きました。
イエスは子どもたちを祝福してくださった。
考えてもご覧なさい。
この謙卑こそがイエスの最も麗しい点なのです」。
記者はさらに尋ねます。
「なぜ、あなたがたはそんなに喜ぶのですか。
あなたがたの境遇は、イエスのおかげでどれほど改善したわけでもないのに」。
「いいえ。全く変わったのです」と男は叫びます。
「私は、神から離れて、しかも神の御怒りのもとにあった。
しかし今はこのイエスが、私を神の子どもとしてくださったのです。
さて私は、イエスのあとについて行かなければなりません。では、ごきげんよう」。
ローマ人は、よくわからないという顔つきで、あとに残されます。
主よ。
あなたを知り、あなたに知られ、あなたを喜ぶ群衆に、私たちをもお加えください。アーメン
God Bless You!!
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