2018年12月2日(日)の手紙

2018年12月2日(日)


『エルサレムにシメオンという人がいた。…イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。』ルカによる福音書2章25節


古い待降節の賛美歌にクリスマスの出来事が歌われます。
永遠のかなたから一そうの小舟がこの世の岸辺に静かに近づいた。

大切な乗客は神の御子お一人。

舟を進ませる帆は神の愛。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された」。

旧約聖書には、こちらの岸の舟着き場で、はるかの昔から舟を待っていた人々の姿が描かれています。
彼らは、救い主がこの堕落した世界に来られるという、神の約束を知っていたのです。

エバは最初の息子を産んだとき、「私は… 得た」と叫びました。
これこそが約束の救い主だと思ったのです。
が、彼は弟殺しのカインとなりました。

族長ヤコブ、彼も舟を待ちました。
死に臨んで彼は、「主よ。私はあなたの救いを待ち望む」と叫びます。

預言者イザヤは待ちきれない思いで、こう祈りました。
「ああ、あなたが天を裂いて降りて来られるように」。

ほかにも多くの人々がいました。
彼らは救い主を待ちわびつつ、死にました。

彼らは舟の到着を心に描いていました。
それゆえ預言者は、「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる」と叫んだのです。
が、彼らはその実現を見ませんでした。

こうしてついにシメオンに至ります。
この人は一生、神の都に住んで待っていました。
そして経験したのです。

あの古い賛美歌によれば、「錨が投げ込まれ、舟は岸に着いた…」のです。
彼は言い尽くせない喜びをもって、神の御子である幼子を胸に抱き、「私の目があなたの御救いを見たからです」と賛美しました。

さて私たちはどうでしょうか。
もう待つ必要はありません。
戸を開けて、舟の「乗客」を心にお迎えすればよいのです。

主よ。
あなたのおいでを喜ぶ人々のうちに、私たちをもお加えください。アーメン

God Bless You!!


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