2018年12月15日(土)
『シオンの娘に伝えなさい。「見よ。あなたの王があなたのところに来られる。」』マタイによる福音書21章5節
新約聖書全巻には見逃してはならない一貫性があります。
それらのすべての書が、一回限りの歴史の事実を伝えているという点です。
つまりそれらは二千年前の実際の出来事を語るのです。
が、大切なのは、たとえ聖書の記事が過去の出来事を伝えるにしても、それらはまた繰り返し、今日でも起こっているということです。
主イエスは一度だけゴルゴタの十字架にかかられました。
が、以来、世界は繰り返し、主を釘付けてきたのです。
主は一度だけ葬られました。
が、以来どの世紀も、主を葬り去らなかったことはありません。
そしてまた、すべての世代が、力強くよみがえる主を新たに経験したのでした。
一度だけ主はナインの町の門で、涙に暮れる母親に「泣かなくてもよい」と言われました。
が、今日に至るまで、主は悲しむ人々に慰めをもって同じことばをかけておられます。
主は一度だけナインの若者を生き返らせました。
が、以来、何百万もの人々が、「私たちは死からいのちに移された」とあかししてきたのです。
イエスのエルサレム入城についても同じです。
確かにこれは昔の事件ですが、また、今日、騒がしく刺激的で支離滅裂のこの世界のただ中において、毎日のように起こることでもあります。
「見よ。あなたの王がおいでになる」。
これは事実です。
実際に起こることです。
私たちがそれを認めるかどうかに、すべてはかかっています。
私たちの心には、多くの疑問、悩み、問題が満ちています。
が、「主は来られた、主は来られた、愛と歓喜に満ち満ちて。
悩みと不安、鎮めるために、あなたのすべてを知る主は来られた」と聞くなら、いっさいの問題の上に、いっさいを変える光が投ぜられているのです。
主よ。
エルサレムへのあなたの入城を、きょう私たちに再び現してください。
そうすれば心は喜びにあふれます。アーメン
God Bless You!!
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