2018年11月28日(水)の手紙

2018年11月28日(水)


『悪者は自分の悪によって打ち倒され、正しい者は、自分の死の中にも泰然としている。』箴言14章32節


聖書には異邦人の王アガグの記事があります。
自分の咎のために処刑されるときに、彼は笑って顔を上げ、「死の苦しみなど何ほどでもない」と言いました。

立派なものです。
が、神のさばきの前に、そんな片意地は通りません。
実際にアガグの死も泰然たるものでなく、敗北の死でした。

「正しい者は自分の死の中にも泰然としている」。
しかし、「正しい者」でないならば、だれが死ねるでしょうか。
死をどうすればよいのでしょうか。

私は、さばきの日まで待つ必要はありません。
いや、今すぐに、きょうにでも、神のさばきの前に立ち得ます。
そして私の罪があばかれるままにまかせます。

自己弁護も弁解もせずに、地獄に値するとの神のさばきを認めます。
有罪の判決を甘んじて受けます。

しかし、その後に、私は、わが救い主であり、避け所であるイエス・キリストを見上げます。
私のために十字架に死んでくださった主を見上げます。

そして信仰をもって私は言います。
「このイエスの上に、私のさばきはすでに執行された。
ここで私の咎は取り去られた。
イエスの義が今や私の義です」。

それでよいのです。
今、私は「正しい者」であり、死を前にして「泰然」としていられます。

昔、一枚の絵を見ました。
されこうべが三つ描かれていました。
その下に「さあ、諸君、教えてくれ、どれが王、どれが学者、どれが物ごいなのか」とありました。

そうです。
死においてはいっさいの区別がなくなるのです。

が、一つだけ残ります。
イエスのゆえに「正しい」と神に認められる人々と、他の人々、との区別です。

主よ。
あなたの死が私たちのいのちとなったことを感謝いたします。アーメン

God Bless You!!


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