2018年11月16日(金)
『わたしはあなたに忠告する。あなたの裸の恥を現さないために着る白い衣を買いなさい。』ヨハネの黙示録3章18節
主イエスはここで、ただの布切れについて語っておられるのではありません。
聖書の比喩では、衣は、私たちが神の前にふさわしい者かどうかを表します。
つまり聖書の表現で言うならば、それは神の前での私たちの義を表します。
きょうのみことばで、イエスは私たちにはっきりと語られます。
「たといあなたがたが、赤い飾りの付いた将校服のような、輝かしい良い行いで自分を着飾っていても、あるいは、宗教という絹の裏地で品よく仕立てて着込んでいても、その衣は結局、神の前には通用しないのだ。
だから、わたしから白い衣を買いなさい」と。
「買いなさい」と主は言われます。
なんと風変わりな買い物でしょうか。
なぜなら私は、古い衣、すなわち自分自身の義を脱ぎ捨てて、「これは役に立たない」と言いさえすればよいからです。
すると私は自由になり、主がくださる衣を無代価で手にすることができるのです。
それは、神の前に通用する義、私たちのために主が十字架によって獲得してくださった義です。
ツィンツェンドルフ伯はこれを、次のように美しく言い表しました。
「キリストの血と義、それはわが飾り、わが礼服。
神の御前に立つとき、身にまとい、御国に入るとき、着る衣」。
なんと安い買物でしょうか。
しかしまた、なんと高価な買物でしょうか。
なぜならば、「このままの私では、神の前には立てない。
罪に汚れたぼろをまとっているからだ」と認めることほど、頑なな心にとって難しいことはないからです。
私たちの心がそこまでへりくだるためには、いろいろなところを通されなければなりません。
しかし、そうなって初めて私たちは、神の御子が十字架によって獲得してくださった衣に対し、まっすぐに目を注ぐようになります。
そして信仰によって、これを自分のものとするのです。
主イエスよ。
白い衣を感謝いたします。アーメン
God Bless You!!
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