2018年10月9日(火)の手紙

2018年10月9日(火)


『その王室の役人はイエスに言った。「主よ。どうか私の子どもが死なないうちに下って来てください。」イエスは彼に言われた。「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。」』ヨハネによる福音書4章49節~50節


私たちは、言行一致の人を立派だと思います。
使徒パウロも、自分にとっては「しかり」は「しかり」、「否」は「否」であると言いました。

とすれば、きょうのみことばには驚かなければなりません。

主は最初、ヘロデ王の役人をつれなく拒絶されました。
息子の癒しを願ってやって来たのに、イエスは冷淡で侮辱的に、「わたしは、あなたがたの望む奇跡屋ではない」と答えられたのです。

が、それなのに主は男の願いをいれて、息子を癒してくださいました。
主はなんという言行不一致のお方でしょうか。

が、このように首尾一貫しない主にこそ、私たちは感謝するべきです。
引き下がらずに願うなら、主の心は裂けるのです。
願い続ける私たちを、主が待たせられることもあります。

が、私たちの信仰を見、願いを聞かれるなら、そのお心を動かして、聞き入れてくださるのです。
イエスはなんという言行不一致のお方でしょうか。

彼は、神の大いなる矛盾そのものではないでしょうか。
神はあれほどに繰り返して、罪人は死に定められていると言われました。
また聖書は繰り返し、聖なる神は私たち罪人といかなる交わりをも持つことはないと語ります。

であるのに、そこへ神の御子イエスが御父の委託を受けて、罪人を救うために、癒すために、来られるのです。
イエスは、神の御怒りを受けるべき私たちに代わって、すべての罪を引き受け、十字架を負われました。

聖書は語ります。
「主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた」と。

神は、罪人は罪の支払いをしなければならないと言われます。
そこで神は御子を保証人として遣わし、私たちに代わって十字架上に支払いをさせなさったのです。
なんとすばらしい、救いを与える矛盾ではありませんか。

主よ。
深い憐みを感謝いたします。アーメン

God Bless You!!


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