2018年10月8日(月)の手紙

2018年10月8日(月)


『イエスは彼に言われた「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。』ヨハネによる福音書4章48節


なんという失望でしょうか。

役人はイエスへのあらゆる偏見を捨ててやって来たのです。
苦悩の中で彼は懇願しました。
「死にかけている息子をお助けください」。

けれども、イエスの拒絶はすげないものでした。

私に向かって不満をもらした人がいます。
「息子が戦争に駆り出されたとき、私は主イエスに、どうか息子をお守りくださいと祈った。
が、だめだった。
息子は帰って来なかった。
先生の話されるイエスは、もうご免だ」。

これは救い主に対して、世があらわす失望です。
が、主ご自身は、私たちが主に失望する理由は何もないと言われます。
王室の役人に、また、この私たちに、主ご自身が失望なさることは、よくありますが。

なぜですか。
私たちは主から何かを求めるのであり、主ご自身を求めるのではないからです。
助けは求めても、助け主その方を求めないのです。

主が与えようとなさるもの、十字架を通して主が私たちに代わって獲得してくださったものを、私たちが少しでも求めさえするならば…。

すなわちそれは罪の赦し、神との平和、永遠のいのちです。

けれども、人はこれらを脇に押しやって言います。
「私はあなたの救いをも、あなたご自身をも、求めません。
もしも、今すぐに私の欲しい助けが与えられれば、あなたを信じます」。

イエスが役人を拒絶なさったのは、「店で買い物をするように、私の助けを買い取ることはできない」とおっしゃりたかったからです。
買い物で気にするのは品質と、店の評判です。
が、イエスの場合は違います。

イエスにあって、生ける神は私たち失われた子どもたちを取り戻そうとなさるのです。
それゆえに、私たちが主ご自身とその救いを求めない限り、主にはもうおっしゃることは何もありません。

主よ。
み救いを求める心を、私たちにお与えください。アーメン

God Bless You!!


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