2018年10月31日(水)の手紙

2018年10月31日(水)


『まことに、神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは自分でわたしの羊を捜し出し、これの世話をする。』エゼキエル書34章11節


ある人が言いました。
「宗教改革記念日はキリスト教の本来の祝祭日ではない。
キリスト教の祝祭はどの場合でも、神が私たちのためにしてくださったことに関係している。

神が御子を遣わされた。
それがクリスマスだ。

神が私たちのために御子を死なせられた。
受難日だ。

神が御子を死からよみがえらせてくださった。
イースターだ。

神が御子を引き上げられた。
それが昇天日だ。

神が私たちに聖霊を送られた。
ペンテコステだ。

ね。
神の救いのみわざが順に語られるのだ。
しかし宗教改革記念日はどうか。
人のわざではないか」。

なるほど確かに、宗教改革をそのように見て、人のわざとすることもできるでしょう。
まさにそこから改革者を、聖書の上に拳を載せた英雄に見立てる、誤ったルター観が生まれるのです。
しかし、その見方は間違いです。

宗教改革記念日もまた、神のみわざをあかしするものです。
宗教改革が言おうとしたことは、神はご自分の教会を一度かぎり、イエス・キリストの土台の上に築いただけでなく、引き続きご自分の教会を世話してくださる、ということです。

宗教改革記念日は「わたしはわたしの羊の世話をする」というみことばの証明なのです。

きょうのエゼキエル書のみことばは、人間の牧者たちに対する、神の拒絶を語っています。
群れを飢えさせる「牧者」については、今は触れずにおきましょう。
きょうの箇所で、神は割り込みをしておられるのです。

神は、「わたしはわたしの羊の世話をする」と言われます。
そして神は宗教改革者たちを目覚めさせ、改革者たちは群れに新しく福音をもたらしたのでした。

今日もまた「教会への失望」が見られます。
人間の牧者らに群れを救うことはできないのです。

が、「良い羊飼い」である方は、ご自分の羊を世話してくださいます。
宗教改革記念日が語るのは、このことです。

主よ。
「ご自分の羊の大いなる牧者」である方よ。
あなたに信頼します。アーメン

God Bless You!!


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