2018年10月29日(月)の手紙

2018年10月29日(月)


『十字架のことばは… 神の力です。』コリント人への第一の手紙1章18節


ある朝、私はストラスブールの街を散歩しました。
そして欧州会議場の合同ビル前を通りかかると、そこにはヨーロッパ各国の旗が風になびいていました。

そして間もなく私は、これとは全く対照的な世界に入り込みます。
聖ピエール・ル・ジューヌという古い教会の中に立っていたのです。

堂守の婦人は独創的な人でした。
「あなたはここで、近ごろのものとは少し違う本物の、あるべき姿の欧州会議をご覧になれますよ」。
そう言いながら彼女は私を十三世紀の壁画の前に案内しました。

ヨーロッパ各国が騎士の姿に描いてありました。
それぞれに自国旗を掲げています。
そして一同はキリストの十字架目がけて疾駆しています。
また、絵の下にはラテン語で「おお、十字架、ただひとつの望み」と書いてありました。

堂守の婦人は静かに言いました。
「もしも欧州会議のお偉方が来られたなら、私は、はっきりとした方向づけがここにあることを、お話ししようと思っているのです」。

なんと賢い女性でしょう。

政治家のアウグスト・ヴィニッヒは言いました。
「ヨーロッパの始まりは十字架の告白にある。
この告白が、別々の諸国民をひとつにまとめる霊的空間を生み出した」。

神の御子の十字架に注目するよりも大切なことはほかにありません。

しかし、どれほど注目するとしても、その十字架が私たちにとって過去の事柄でしかないならば、それは無意味です。

「十字架のことばは…、神の力である」と聖書は言うのです。

電流の理論に精通していることと、電流によって部屋を明るくすることとは別問題です。
私たちは、十字架の贖いの力を経験することができます。
十字架には力があるのです。

主よ。
新しいいのちの、力を感謝いたします。アーメン

God Bless You!!


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