2018年10月21日(日)の手紙

2018年10月21日(日)


『看守はあかりを取り、駆け込んで来て、パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏した。そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには何をしなければなりませんか」と言った。』使徒行伝16章29節~30節


この看守もピリピの町で気楽に暮らしていたわけではありません。
彼はいわば「自転車乗り」のようなものでした。
上り坂には背を丸め、下り坂では足を踏ん張るのです。

イエスの証人パウロとシラスには、それがよくわかりました。
彼らは看守に「踏みつけ」にされたのです。
彼らは、看守が無抵抗の者に対して威張りちらすのを感じました。

しかし彼だけがとんでもない悪辣の見本というわけでもありません。
私たちも自分の中に同じような傾向を持っています。
聖書が言うとおり、「人の心は何よりも陰険で、それは直らない」のです。

しかも、この男には驚くべき点がありました。
自分の人生への聖なる神の介入をいち早く悟ったことです。

夜中の地震で、牢の扉が開いてしまったので、パウロとシラスは出て行くこともできました。
が、看守が驚き恐れたことに、二人は逃げなかったのです。
彼らは静かに座って、神のみわざを待ちました。

看守の脳裏に稲妻が走ります。
「この神は、私をさばくつもりだ。自分はそうされても文句は言えないだろう」。
そこで彼は単刀直入に「救われるためには…」と尋ねたのです。

神が、あふれる恵みをもって、あるいはさばきをもって、私たちに臨もうとされるときに、私たちはこんなに素早く悟るでしょうか。

聖書は言います。
「イスラエルの全家は鉄面皮」だと。

それは私たちにも当てはまらないでしょうか。
「彼らの心は脂肪のように鈍感です」とも書かれています。

しかしこの看守は、そうではありませんでした。
それゆえに主は、彼のすべてを新しくすることがおできになったのです。

主よ。
開いた目と、主に向けて備えられた心とを、私たちにもお与えください。アーメン

God Bless You!!


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