2018年10月17日(水)
『もしかすれば、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。』使徒行伝5章39節
突然に召集されたエルサレム議会の議題はただひとつ。
「イエスの弟子たちの伝道活動をどうするか」でした。
この是非をめぐって議会は大論争を繰り広げることもできたでしょう。
が、賢明なガマリエルは、「しばらく、様子を見ようではないか」と提案します。
自分たちが神に敵対する者にならないとも限らない、と言うガマリエルの主張は、人々の間に恐れを呼び起こしました。
同じ恐れが私たちにもあればどんなによいことでしょうか。
「神に敵対する」。
そうです、聖書の冒頭には、人間が神に敵対し始めたようすが描かれています。
彼らは「頂が天に届く塔」をバベルの町に建てたというのです。
またヨハネの黙示録は、人間が自力で世を救おうとする最後の試みを描いています。
「獣と地の王たちがキリストと戦うために集まった」という光景です。
この二つの事件に挟まれた世界の歴史全体を、私たちは「神との絶えざる戦い」と呼びます。
なんとよく私たちはこの戦いに加わることでしょうか。
神の導きに満足しない。
神の命令に背く。
これらはまさに「神との戦い」なのです。
私たちはこのような戦いを背景にして、「神の和解を受け入れなさい」という、福音の叫びを聞かなければなりません。
ゴルゴタの十字架こそは、差し伸べられた神の和解の手です。
私たちにできることは、ただ握手することではありません。
私たちは、その御手の中へ、悪しき、頑なな心もろとも逃げ込むことができるのです。
主よ。
あなたが和解を与えてくださったことを感謝いたします。アーメン
God Bless You!!
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