2018年10月16日(火)の手紙

2018年10月16日(火)


『この曲がった時代から救われなさい。』使徒行伝2章40節


ペテロがここですべての人々を一まとめに扱うのは、不愉快なことではありませんか。

彼はすべての人々を指して「曲がった時代」と呼び、イエスによってそこから救われよと勧めます。
そして、ペテロはその時、「聖霊に満たされ」て、それゆえに神の委託を受けて語ったのだ、と聖書は告げています。

人間同士に決定的な違いはないと言うのでしょうか。
しっかり者の主婦は怠け者の主婦よりも立派ではないのでしょうか。

天才芸術家は、流行とパーティーにしか興味を示さない中途半端な人よりもまさっていないのでしょうか。

まじめな労働者は犯罪者よりも優れていると言えないのでしょうか。

キリスト者には、そういう値打ちは全くわからないというのですか。
そんなことはどうでもよいのですか。

いいえ、とんでもない。
私たちにも、それはよくわかります。
そして、それらは人間社会を築く上で非常に大切なことです。

しかし、ここで聖書独特の明快な「しかし」が登場するのですが。
これらの価値も、神の前に私たちを正しいとするためには全く役に立ちません。

それらは、聖なる神の御怒りとさばきから私たちを助け出すことはできません。
これらは、たったひとつの罪を無効にすることさえできないのです。

神の前に通用するのはただひとつ。
私たちの罪を十字架の上で担った神の御子を信じることです。
私たちの優れた点を主の前に意気揚々と持ち出すことではなく、自分の罪を認めることです。

神の前に立ち得る人々とは、聖書は言います。
「その衣を小羊の血で洗って、白くした」人たちです。

聖書は、汚れに満ちた人間が洗いきよめられることを熱烈に勧めます。
それゆえ聖霊は切に叫んで言われるのです。
「救われなさい」と。

主よ。
私たちが誤った望みを抱かないよう、お導きください。アーメン

God Bless You!!


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